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裸裸劇場2



いにしえの本番を懐かしむ諸兄よ。
消えていった劇場を懐(なつ)かしむ諸兄よ。

船橋の大仏君が、裸裸劇場(ららげきじょう)の第2弾、
気まぐれ劇場」について語ると言った約束を覚えているじゃろうか?


前回の裸裸劇場のことを読んだ御仁(ごじん)も、そうでない御仁も、
再度読んでもらえると、ありがたい限りじゃ(参:URL1)。



では、千葉市蘇我の裸裸劇場の話を 大仏君に頼むとするかの~。



はい。それでは、裸裸劇場に初めて入ったときに話を戻します。


いよいよショー始まりです。

アナウンスの声はカタコトの日本語で、しかも女性でした!
フィリピーナ(ピナ)がライトマンをしていたんですよ(参:URL2)。

2回目が始まり、しばらくすると投光室で男の声がしました。

「おまえもステージに出ろ」「さっさと言われたとおりにしろ!」
と大声で叫んでいました。
「私がライトマンするよ。」という声も聞こえたんですが
その娘は踊り子に戻っていきました。

その娘は本番ショーをすることがあったわけですから、
本番のできるライトマンのいる劇場、だったわけです。


これだけでも、かなりユニークだったんですが・・・・

もう、社長の行動が破天荒(はてんこう)極まりなかった。

開演時間が過ぎても、3人以上客がいないと始めないなんて
可愛いものでした(温泉地の劇場も、そんな面がありますからね)。


「客が居なくて始まらない」なんてことは よくあったんですが、
「踊り子さんがいなくて始まらない」なんてことも在ったんですよ。

従業員の曰(いわ)く、「女の子が海水浴から帰ってきていない」。
女の子が全員居ない ということにびっくりしました。

社長は のん気なもので、「アイスでも食べて待っててよ」でした。
お詫びにアイスをごちそうになったのは、ここ裸裸劇場だけでしたよ^^



ショーが終わった後、(他の劇場の)ママさんに 劇場スタッフと共に
飲みに連れて行ってもらったことがありました^^

でも、下の話のような経験はあるでしょうか?


社 長:おい、あんちゃん。腹減ったな。ラーメンでも食べんか?
 私 :おごってくれるの?
社 長:馬鹿言え。わしが出前をとるから、あんちゃんも自腹で頼め。
 私 :(なんだ、自腹か)今日は腹減ってないからいいや。

という会話の後 客の数名から注文を取り、出前が届きました。

社長の鶴の一声「ラーメンタイムだ。ショーは後だ!」で、
ショーを途中で止めてしまったのです!

私を含めた数人は、ラーメンを食べるのを指を咥(くわ)えて見てました。

それ以降、ラーメンタイムには絶対参加することにしました。
ステージを誰も見ずに、後ろで全員がラーメンをすすっていました。
そんな劇場は、私の知る限り裸裸劇場だけでした。


社長のワンマンは最終ステージでも発揮されました。

観客が8人以下の時や、社長が飲みに出かけたくなったとき
はたまた、台風が近づいていたときなど・・・
(つまり、早めに切り上げたいと社長が思ったとき)

「お~い、全員出てこい」の鶴の一声が発せられたのです。


この一声で、4~6ヶ所に布団が敷かれたんです。

「お前はここ」とか社長に仕切られて一斉本番が始まったんですね。

もう、ダンスショーなんてなし。いきなりでした。


一応、BGMは流れていたんですよ。こんな感じで・・・・

Rivers of Babylon - Boney M

この曲を聴くと、思い出しちゃいますね^^

本番ショーの最中は、裸裸の社長が巡回していました。
そして、全員に「早く終われよ」と言っていました。

遅いと、「おまえはいつも遅いな」と叱られていましたよ。

客の1人か2人はあふれましたが、問題ありませんでした。
余った客は、早く終わった女の子にやらせましたから。

特別興業のときは7人出てましたから、最大7組の本番があったんです。
当然、タッチの女の子も そのときは本番でした。


こうして4回目のステージは、わずか 30分で終わってしまったのです。



イラン人の客が増え始めた頃でした。上野に彼らが大勢いた頃です。
社長があの性格だったので、イラン人とトラブルがたえませんでした。

そして、イラン人による放火という結末を迎えてしまったわけです。
住居側は全然燃えておらず、ステージ側だけが綺麗に燃えていました。

その後、劇場が再開されることはありませんでした。残念です。



社長の破天荒な性格が、諸刃(もろは)の剣になってしまったんじゃな。
タッチの女の子が本番になるのは、皆も大歓迎なんだがの~。


大ちゃん、今回もありがとう。次の報告も楽しみにしておるよ^^



関連する記事を、下に集めておいたぞ。

URL1.「裸裸劇場1」の記事は
http://gekijoukonjaku.blog.fc2.com/blog-entry-55.html
URL2.ライトマンについては、人物カテゴリーから 探してくれ
http://gekijoukonjaku.blog.fc2.com/blog-category-3.html
※ 温泉地の劇場「舘山寺小劇場」の様子は
http://gekijoukonjaku.blog.fc2.com/blog-entry-38.html




_vb.jpg


[ 2012/03/11 20:27 ] 劇場 | TB(0) | CM(1)

今昔物語にいただいたコメントを移転しておきます。


・2010年05月31日 07:46

>大仏さん、

 小生も千葉に住んでいたので、蘇我ララ劇場は名前だけは、知っていました。 行かなくてよかったが、本音です。
 イメージが悪い劇場で思い出すのが、水戸エースですね。ここは、中が汚かった。
 きちんと掃除されていないと言うのが正確な表現かも知れません。
 と言うのは、一応、開演前に掃き掃除を照明係がやってはいましたが、ステージの周りや客席側がガラス張りになっているけど、埃だらけで、本来のガラスの機能が働いていないと感じです。ステージの隅も埃だらけでした。
 そして、トイレも、便器が尿粕で、黄ばみがこびり付いていました。 こんな劇場ですから、出べその周りの照明の周りをゴキブリがうろついていたり、照明のガラス越しに虫の死骸が目立つと言った有様です。
男ヤモメのオーナーなら、仕方ありませんけど、劇場続きにスナックもやっている女性オーナーなのです。 客席からトイレに行く手前にスナックの出入口があって、スナック客も見にくる変わった劇場でした。
 でも、劇場内は、まったりしているんです。
 正面の出べその前には、くたびれた3人かけのソワァーが置かれていて、小生は、そこが定位置でした。 ソワァーに座って見ていると、自宅のリビングにいるみたいで、まったりできると言った実に変わった劇場でした。アナウンスがひどく、何を言っているのが全くわからないのがここの特徴でもあったことを申し添えます。


・2010年05月31日 20:20(船橋の大仏返)

>山ちゃん

 ララ劇場、イラン人が来始める前はパラダイスといった感じでしたよ。

 社長も若社長もわがままな人でした。みんなの好き嫌いがはっきり分かれる人でしたよ。

 オヤジさんは昔ながらのやくざな感じでした。だから、思いやりのある人でもあったんです。困った人には、お金でも助けたりしていたようです(ワインのおじいちゃんから聞いただけですが)。

 息子はおしゃれな格好をしていました。高そうな三つ揃えを着ていました。が、カッとする性格の人でした。ボニータがダンスの途中で変なことをすると、
「こいつめ」
と楽屋にステージ横から土足で入って
「あれは、なんのつもりだ!
 いい加減にしろ」
と女の子を怒鳴る声が劇場中に聞こえたこともありました。


 水戸エースと水戸ニューコマ(名前が変わっても、みんな水戸コマとかコマと呼んでいました)とは、同じオーナーだったんですよ。

 コマも同じく、広さが3畳の個室でした。コマの部屋数はエースの3倍の6部屋でした。

 コマも、イラン人が来るようになってから、掃除がいい加減になったようです。彼らは土足で部屋にまで入った。ボニたちも土足で入るようになった。だから、掃除がいいかげんになりました。以前はどちらもきれいでした。とりわけ、大ママさん(ジャンケンした日舞の先代です)が健在だったときは本当に綺麗でした。大ママさんは、客に喜んでいただくのが好きだったのです。

 エアコンもあったんですよ。そして、石油ストーブもあった。イラン人が来るようになって、エアコンが壊れても直さなかったんです。だから、どちらの劇場も暑かったし寒かったですね。
 夏、コマは窓を開けて、扇風機をつけるようになりました。冬、石油ストーブは危ないので、電気ストーブにしました。

 エースの投光はフィリピン人だったんですよ。エースの専務は、フィリピン人の踊り子と結婚して、その地位を獲得しました。そのフィリピン人の踊り子の弟が投光でした。その紹介で、フィリピン人のお釜が投光として入ったのです。彼は掃除好きでした。

 投光かもぎりでさっき名前なんて言ったのと聞くと教えてくれました。わざとはっきり言わない劇場ってあったものですね。まるちゃん対策だったようですよ。

 茨城時間の流れる素敵な劇場でしたね。
 

・2010年06月01日 07:47(山ちゃん談)

水戸エースのコメントで、訂正があります。
ステージと、観客席側にガラス張りと、書きましたが、ミラー張りの誤りでしたので、訂正します。
 せっかくのミラー張りが曇っていて、ガラスクリーナーまでとは、言いませんが、濡れ雑巾で、拭けば、全然違うのに、常々思っていました。建物自体は、そんなに古くはなかったのですから。
 小生は、手入れを食らって再開した平成16年ころから足を踏み入れました。
 香盤は6香盤で、開演時間が遅く午後3時からでした。
 開演時間前に入ると、割引があり、通常、3千円のところ、2千5百円になりました。
 ここは、喫煙場所がなく、劇場内で、喫煙していたので、床には、無数の吸殻散乱状態でしたが、休憩中に掃き掃除することもないので、小生が近場に落ちていた吸殻を拾って、捨てていました。
 出演者は、昔、本板で活躍していた日本人が3人位と、ボニ、ピーナ3人位で、鳳が本板でした。上がれのは、ワンステージ、1人でした。 ここは、出べそこそありましたが、狭いため、本板は奥のステージで、ステージの横に立て掛けてある、薄汚れたマットレスを、客が自分で敷きます。そのマットが脇がところどころ、ほころびた、みすぼらしいものでした。
 本板は、ワンステージ、1人でしたので、じゃんけん倍率は、比較的高かったです。
 ここは、外出が自由でしたので、本ベロの中には、本板の前に来て、じゃんけんに負けると、消え、再び、じゃんけんのとき、姿を現わす人もいました。
 ユニークな企画は、劇場のチーママが3番目に出て日舞を踊っていましたが、露出なしです。チーママは名取と言うことで、踊りが上手でした。
 そして、踊り終えると、ステージの上でチーママと、客がじゃんけんをするのです。
 じゃんけんに1回勝つと、飲み物の引き換え券、連続2回勝つと、靴下か、トランクスパンツ、そして連続3回勝つと、ドリームチケットか入場券がもらえるのです。
 ドリームチケットとは、個室の無料券です。
 個室料金が5千円でしたので、入場券をもらう勝者は、皆無だとは、思います。
再開前まで、本板が2香盤あったらしいので、低コストの企画アイデアだったと思います。
ドリームチケットも、最初は外人、日本人問わず、利用可能でしたが、後半から、外人のみ、ルールが変わっていました。
 本板が消滅した後、ステージの最後にチーママに変わって、マスターとのじゃんけんに変わっています。
噂では、チーママが亡くなったらしいのです。
 チーママは、劇場の棟続きのスナック 踊り子のママさんでした。
 スナックを抜け出して踊っていましたが、チーママが、よく客に、ノーギャラなんだから、脱げないわよと冗談を言っていました。
 こんなユニークな劇場は珍しいと思います。


・2010年06月01日 22:40(船橋の大仏返)

>山ちゃん

 手入れを食らったときに、お釜のフィリピン君が持っていかれました。彼は本当に掃除好きでした。鏡を良く磨いていました。
 彼がいなくなってからは、そうじをしなくなったんです。


 さらに昔は、本番が3香盤ありました。日本人も本番したんですよ。

 うわさではなく、本当に亡くなったのです。私に、通夜と告別式の日時が電話できました。


・2010年06月02日 04:20(山ちゃん談)

 水戸エースの売りは,なんと言っても関東一広い個室でした。
 個室の広さは、3畳ほどの部屋でした。ただ,ここの欠点は,冷暖房施設が乏しく,夏は,ファーンの周りに張り付いた埃がぶらぶらしていた古い扇風機
冬は二灯式のこれまた埃だらけの小さな電気  ストーブ
でした。
 汗だらけになったこと,息が白くなる中で頑張ったことほんと,懐かしいです。
 時間もまったりして,特に,日本人のお姐さんは,まったりサービスしてくれました。
 忙しい,埼玉の劇場とは雰囲気が違っていたように特に思います。


・2010年06月02日 23:30(船橋の大仏返)

 甲府人生劇場の個室はもっと大きかったですよ。浦安劇場とかララ劇場とかが、水戸と同じ広さでした。そこらが無くなってからは、水戸の個室面積が一番になりましたね。
[ 2012/03/12 19:26 ] [ 編集 ]

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